« 2004年09月 | メイン | 2004年11月 »

2004年10月 アーカイブ

2004年10月02日

中日優勝!落合「神」!

いやぁ中日が5年ぶりに優勝しました。

実はおとといの神宮球場で「M1」で迎えたヤクルト戦を見に行っていて、敗北に打ちひしがれてました。。せっかく目の前で優勝が迎えられると思ったのに残念だった。

まぁでも翌日マジック対象チームのヤクルトが敗れて広島に負けた優勝が決まった。僕が野球を見始めたのが88年で優勝、99年にも優勝しているのに、僕にとっては3回目の優勝となった。

しかし、打線を見ていても今年の中日はどこが強いのか分からなかった。でも、勝つ。それが落合野球の真髄なんだろうか。最後まであきらめない、それが徹底していた。

ただ、分かっているのは落合は別に特別なことは何もやっていない。プロとして「結果を出す」という当たり前のことを選手に実行させただけだ。就任時「補強は要りません、今の戦力を10%上乗せすれば優勝できます」といった言葉を有言実行した。

現役時代「オレ流」と呼ばれたのは、そのプロ意識からだ。「日本的集団」だった日本球界からは異端児として見られた。だから、落合を「和を乱す」として嫌いな人は日本国民いくらでもいるだろう。しかし、自分が監督になってその時の自分の理論を実践してみた、その結果が優勝だ。落合の論理は何も間違ってなかった。そのことに気づいてほしい。

今年の巨人を代表例に、単にいい選手がそろえば勝てるわけじゃない。落合理論は今のプロ野球界にまさしく大きな一石を投じただろう。他の監督がこの事実に気づかなければ、おそらく中日の天下は続くだろう。ファンだから言っているわけじゃない。今の中日のチームを成績だけで見たら1位であることは信じられないだろう。

次は日本シリーズ、パのプレーオフの結果はどうなるか分からないが、ダイエーとの対戦を望みたい。99年は1勝しか出来ずに負けた。最強の選手・打線を揃えるダイエーに守り勝ってこそ落合野球1年目の集大成は達成される。

ファンは試合が終わると「さんか?ん落合」という当時の応援歌を送る。自分が野球を見始めたときの4番は落合だった。今の20代の中日ファンにとって落合のイメージはやはり大きい。監督として戻ってきて優勝、これ以上の感動はない。

川上、山本昌、ドミンゴの先発陣、落合・岡本・平井・岩瀬という中継ぎ?抑えはダイエーに劣らない。1番荒木・2番井端のコンビは12球団1だ、88年次の彦野&立浪を彷彿とさせる。3番立浪、元祖天才選手会長の「監督への恩返し」は日本シリーズにおいて他ない。4番アレックス、福留の穴を感じさせない選球眼のよさは期待させる。5番谷繁、「中日を優勝させるために来た」と言った、打率は低いが勝負強さは劣らない。6番以下の下位打線は日時変動となろうが信頼感ある代打陣含めた野手全員が信頼感でつながっている以上、ネームバリュー以上の脅威が相手にはあるはずだ。

予想は4勝3敗で中日優勝。落合野球のすべてを日本シリーズでぶつけてほしい。常に期待に答えてきた落合だけにそれも可能かな、と思ってしまう。そんなファンの盲目も落合なら実現してくれる、そんな気がするのだ。

2004年10月03日

イチロー257安打の記録更新

イチローが大リーグシーズン最多安打の記録を更新した。今日の試合が終わって259安打、記録がどこまで伸びるか本当に楽しみ。同じ日本人としてイチローが活躍するのは本当にうれしい。

「レーザービーム」と評された強肩を披露し、年間242安打を記録するなど瞬く間に大リーグでも注目された。1年目、2年目・3年目と連続して活躍するにつれ、イチローの天才ぶりが「当たり前のもの」として認識するようになった。イチローも「3年やれて1人前」と言っていただけにこの3年間には満足しているのではないか。

そして、迎えた4年目。大記録が生まれた。最古の記録といわれた年間最多安打を塗り替えたのだ。

ところで、イチローは大リーグに新たな概念を持ち込んだということはあまり知られていない。それは「スピード」という概念だ。それまで足の速い選手はいたが、単なる内野ゴロでスタンドが注目できる人は過去も今もイチローしかいない。内野安打が多いのはその類まれなるスピードのせいだ。

そしてイチローのさらに驚異的なところは「いつでもヒットが打てる」というセンスだ。高校時代から「センター前ヒットならいつでも打てる」と豪語していたという。芯に当てるのがうまいので実は本塁打も打てる。本塁打はパワーじゃないことをイチローのバッティングは示してくれる。タイミングが合えば誰でも本塁打は打てるのだ。といいつつそれを実行するのが難しいのだが、逆を言うとそれを可能にするイチローのバッティングセンスは群の抜いている。

オリックス時代にチーム事情で3番を多く打たされたときがあった。そのときは25本の本塁打を放っているだけに、大リーグでも3番を打つことがあれば本塁打を量産することは十分可能だろう。今年は記録を狙ってヒット「だけ」を打っているのに過ぎない。おそらくありえないだろうが、イチローが中核打者として本塁打を狙って打席に立つシーズンが見たい。40本塁打はおそらく硬いと見るがいかがだろうか。

今シーズン最後の打席は狙って本塁打・・・そういうこともありえるのかな、と思わせてくれるところにイチローのすごさがある。あと2試合記録はいくつまで伸びるか、固唾を呑んで見守りたい。

2004年10月04日

友達の結婚記念プレゼント

今日は昼から友達Hの結婚記念のプレゼントを買いに新宿まで。

前にエントリーでちょっと書いたのですが、突然の結婚ということでかなり驚きました。その結婚パーティ(?)みたいなものが16日に大阪であるので、そのプレゼントというわけです。

男4人で、新宿の伊勢丹を巡る(笑)。百貨店なんてまともに入ったのは久しぶりかもしれない。生活雑貨ということで決めて買いました(一応ばれるとまずいかもなんでモノが何かは書きませんが)。

その後、食事をして寄せ書きを書く。大学1年から知り合いだから5年半にもなるんだなぁ、と感慨深く思う。中学校とか高校の友達のほうが長い時間をすごしたようなイメージがあるけど、実際は違うんだよね。とりあえずおめでとう、と言いたい。16日は楽しみだなぁ。

終わってから代々木のオリセンに移動し、先月参加した500人キャンプの飲み会。150人ぐらい集まっていたのかなぁ。新しい人とも話したり、当時あった友達ともいろいろ話した。2次会まで行ったけど、今週やったファスティングダイエットの影響でお酒が飲めないのがきつかったのが残念。早くお酒飲めるようになりたい。

そんなかんなで帰宅。いい日だったなぁ。明日からまた頑張ろう。

2004年10月07日

祖母が亡くなりました

突然な話ですが、母方の祖母が亡くなりました。

月曜の夜に電話がかかってきて、火曜・水曜と忌引休暇をいただきまして、実家の愛知に戻って通夜とお葬式に出席してきました。

先月にお見舞いに行って来たので、その時会えたのが本当に幸運だった。おじいちゃんと母親は最期見とれたのが本当によかったと思う。

何せ物心ついてから親族等がなくなったのが初めてだったりする(5年前の飼い猫は除くと)。小学校低学年ぐらいに曾おばあさんが亡くなったのは覚えているけど、それ以後は本当に初めてだった。

従兄弟ともあまり会ってなかったので、まず誰が誰かを把握するのが大変だった・笑。でも、これを機会に親族がそろって再開できたのは祖母のおかげなのかな、と思う。

式では本当に好きだったから涙が出てきた。いつかこういう時が来るとはいえ、悲しいものは悲しい。祖父はまだ健在なので、最低年1回以上顔を出したいと思う。実家の近くに住んでいるので会いに行きやすいし、親孝行ならぬ、祖父孝行でもしなければ。友達では父親が亡くなってしまった人もいるし、常日頃から感謝の気持ちは持っていないといざというときに後悔しちゃうので、その辺マメにしていきたいですね、ホントに。

自分も頑張って生きなきゃ、と強く思う。後悔したくない人生だから。

2004年10月08日

ニンテンドーDSのお披露目会

タイトルのとおり、お披露目会があったらしい。

先日、同日でニンテンドーDSとPSPの詳細な発表があったという携帯ゲーム戦争。初戦は任天堂が先に仕様を公開することでリードした感じだ。任天堂が15000円と先に値段を発表することで、ソニーはおそらくそれより高い値段設定をしていたと思われるが、価格発表を先送りせざるを得なかったようだ。

ds.jpg

そして、今日はお披露目会。家庭用ゲーム機ではPSにシェアを奪われた任天堂だが、携帯分野では「FINAL FANTASY III、「ポケモン」など人気ゲームを投入し、ソフト不足によって敗北したニンテンドウ64と同じ轍は踏まない、という強い意志が伺える。

個人的な主観だが、やっぱり電車の中でゲームボーイ・アドバンスで遊んでいる人を結構見るから、大人でも大きな需要がある気がする。任天堂は最近落ちたというイメージがあるけど、実は円安の影響もあって、先日発表した中間決算では過去最高益を記録するなど元気がいい。

それにしても、せっかく任天堂がマリナーズのオーナーになってるんだったら、どうしてイチローの記録の時のバックボードでDSの宣伝をしなかったのが疑問。任天堂のマークは出ていたけど、今肝心なのはDSなはず。あの記録更新の瞬間の映像、一日中流れたことを考えれば、かなりもったいないよねぇ、ホントに。

任天堂は好きなので頑張ってほしい。しかし、スーパーマリオサンシャインを誰か本体ごと貸してくれないかな、やりたいやりたい。

2004年10月09日

どこからスポーツ情報を仕入れるのか?

ITMediaの記事で、スポーツに関する情報どこで入手するのか、などの2000人アンケートの結果です。

興味深いことがいろいろ書いてあるわけですが、やはり興味深いのは「日ごろのスポーツの情報をどこで仕入れるのか」という部分。12.9%がポータルサイト(=インターネット)で、テレビや一般紙ほどではないにしろ、11%のスポーツ新聞を上回った、とのこと。日増しにインタネットで情報を仕入れる割合は増えてくるし、それはスポーツももちろん例外ではない。

ただ、やっぱり日本だとスポーツはアメリカに比べて認知されていないのが明白。年間の出費額が3万円が平均となっている。あまりにも少ない。平均3.5回というのは少なすぎる。

以前どこかの報道で、日本国民の娯楽費(スポーツ、演劇、映画)が少ないという結果を見たことがある。趣味が多様化した、というよりはたくさんある趣味の域をこなせていないというのか。

アメリカは人口が日本の2倍しかないのに、娯楽費にかける費用が半端じゃない。だからこそ、あれだけのスポーツが発達するし、芸術の才能の発掘も盛んだ。日本だとごく一部の人しかスポーツで食べていけないという状況に陥っている。それも人がスポーツに興味が薄すぎるせいだ。

さらに冒頭にも書いた、情報の仕入先がインターネットになってくると、さらにお金を使わなくても済むようになる。結果だけ見て済ますようになる。僕がスポーツや演劇が好きなのは、その場でしか得られない感動があるからだ。さらにスポーツは筋書きのないドラマ。誰もが結果を知らない、そういう中で感動できる。これ以上に楽しいものはないと思う。

人がリアルでスポーツを見に行きたく(やりたく)なる場を用意しなければいけない。インターネットサイト運営者にとって、それも使命だと思う。

自分も頑張って行きたい。

2004年10月11日

寿司98皿→アメフト

土曜日に友達Iからの急なメール。「今、東京来てるんだけど、明日夜ぐらいに会えない?」と。Iは京都大学の友達で、現在富山で某会社に勤めている。ちょうど3連休ということで、東京に遊びに来たらしい。いきなりメンバーも集まるわけない、と思いつつ思い当たるメンバーに片っ端にメール、夜中にチャット会議(笑)で時間を夜→昼に変更して会うことに。

場所は品川。メンバーは7人、突然と思えないほど集まった。みんな暇だな(違)。で、どうしたかというと品川の回転すし屋に入って食べる。7人で98皿食べて終了。久しぶりに集まったメンバーだし楽しく終えました。

終わってから僕はウィルウィンの現役メンバーとアメフトを見に大井第二球技場まで移動。ひさしぶりに早稲田のアメフトの試合を観戦。試合は36?7と完勝したけど、お世辞にはいいとは言えない出来。関東制覇→甲子園ボウルに行くためにはこの内容じゃ覚束ない。正QB新田洋が故障しているのが残念。完全復帰を切に願いたいですね。

久しぶりにアメフトを見られたのでかなり嬉しい。シーズン中だし時間あればなるべく見たいですね。

結構忙しい日だった、そう思う。

2004年10月15日

愛知・関西遠征記 1日目:地元で後輩と食事

かなり遅くなってしまった(これ書いているのは25日)けど、14日?17日まで愛知・関西を行ってきたので報告までに。

14日、会社の都合で名古屋に出張があったので、名古屋駅で仕事を済ますと16時前にオフに。実は先週も忌引きで帰ってきたので2週連続の帰宅だったり。

とりあえず爺ちゃんが老人ホームに入ったということで、母と一緒に行く。今の家から15分ぐらいのところなので、実家戻ってきたときはいつでも行けそうだ。今89歳だけど、100歳まで頑張って欲しいなぁと切に思う。というか元気なので十分可能な気もする。

それが終わってから夕食を食べに前から約束していた後輩Tに会いに車を運転して名古屋から一路刈谷市まで。免許証を紛失中だったので、久々の運転だったけど快適。Tとは会うのは約1年ぶり。サークル関連で関西の大学にいたときに会ってから、出身校が地元のライバル校同士(?)ということもあり、仲良くしてます。今年から某社に入って刈谷で働いているというわけ。

まぁ何を話したというわけじゃないけど、焼肉を食らいながら談笑。すごいプラス思考なのが僕にはためになる。お互い頑張りましょう。

住んでいるところも近いので正月に、弾丸伊勢神宮ツアーでも実行しようか悩み中。

せっかく東京を離れているからには東京じゃ出来ないことをしたい。いい日だった。

2004年10月16日

愛知・関西遠征記 2日目:京都で飲み会

結局夜遅く帰ってきてから作業していたので寝たのは深夜だったが、なんとか朝起きる。

朝起きてから新幹線で新大阪駅へ。そこで、友達Mと待ち合わせをした。久しぶりの再会だったけど元気そうで何より。無理に誘ったけど会えてよかった。

ということで一日中大阪で遊んでました。歩きまくったせいで足が棒のようになった。

そして、夜に京都へ向かうために京阪に乗る。京阪で出町柳まで。出町柳近くの中華料理屋で同じくポータルサイト運営していた別大学の後輩5人と食事。いやぁ久しぶりに会った人ばかりで懐かしいもの。京都族が多いので、何度京都に行っても楽しめそうで幸せなこと。

終わって京大の後輩Tの家に泊まらせてもらう。朝早かったから早くくたばってしまった。まぁでも鴨川のほとりを歩くとなんかホッとするなぁ。京都、いい町だと思います。本当は紅葉の季節に来たかったなぁ、それは来年以降の楽しみにしよう。

(04/10/25)

2004年10月17日

愛知・関西遠征記 3日目:友達の結婚パーティ

遠征3日目。泊まらせてもらったTは院生なので朝が早いらしい。院生も大変だ、、土曜日なのに。下鴨神社の中を通ってバス停まで。久々に京都のバスに乗って京都駅まで行く。

さて、今日は大阪で友達の結婚パーティなのだが僕はどうするかというと、新幹線で名古屋に戻る(爆)。というのも持ってきたスーツケースにズボンを入れ忘れたらしい。泣く泣く前日までいた名古屋に戻る。新幹線なので40分しかかからない、意外と名古屋は近いらしい。たまたま日本に帰宅していた兄貴も名古屋に新幹線で来るということでちょっと駅のホームで会えたのでなんか良かった。

それから再び新幹線に乗って新大阪駅へ。梅田まで移動して軽く時間をつぶす。それから大学時代の後輩Hの結婚パーティ会場に移動。いやぁHと最初に会ってからもう5年と思うと懐かしいなぁ。

何故かスピーチを頼まれるという事態もありましたが、パーティは無事に終了。僕は新婦の友達ってことで行ったわけだけど、もちろん新婦の高校時代の友達や旦那さんの友達も来ているわけで、2次会ではそういう人とも話せたのでよかったかなぁ。サークルの友達もその日中に東京帰る人とか先に帰ってしまったが、僕は大阪泊まりなのでもう少し遅くまでいた。

それから22時に大阪駅に再移動。今度は別サークルの後輩Kと待ち合わせ。Kは某新聞社の大阪支社に勤めていて、約半年ぶりの再会。その日も休日だったのに仕事とか。ありえん。

ちょっと大阪駅で話してからKの家へ。大阪駅から少し離れた川西池田というところに家があるらしい。久々で懐かしすぎる。大変そうだけど、別の後輩たちもたまにKを尋ねてくることがあるらしい。僕もたまに大阪に来るし、来たときはなるべく会おうと思う。また泊まらせてください・笑

(04/10/25)

2004年10月18日

愛知・関西遠征記 4日目:京都競馬場へ

4日目。前日同様、後輩Kは朝早くから仕事らしい。本当に大変だ。Kと一緒にJRに乗って途中で別れる。とりあえず朝の仕事をしようとHotspotある場所を探す。旅行中までこういうことをしないといけないのはさすがに大変だなぁ、と。しかも、朝8時に仕事の修正依頼の電話がかかってきていたので、あわてて場所を見つけて何とか更新する。

昼過ぎに淀屋橋駅まで移動。ここで同志社の後輩Kと久々にある。久々というか実は2度目だったりして、とかなり面白い状況かも。おそらく1年半前に会って以来なので一瞬本人と認識できなかった・汗

Kは大学4年だが、もう半分サラリーマンのようにして働いているらしい。考え方がしっかりしているので、どこででも通用するタイプかと。人を惹きつける才能があるので将来が恐ろしいです、はい。飲んだことがないので、次回はぜひとも酒でも酌み交わしたいですね、本当に。

それから別れて、再度京阪に乗って淀駅まで。淀には何があるかというと、そう「京都競馬場」。同志社から交換留学で早稲田に来ていたときにサークルで一緒だった後輩Yが京都に戻ったということでこちらは1年ぶりの再会。

軽い気持ちで誘ったのだけど、競馬に関してはYのほうがマヂでした・笑 肝心の予想は大はずれだったけど、京都競馬場で秋華賞(GI)を見れたのが良かったなぁ。帰りにオッズケースを買ったらYが特別賞の松茸1キロが当たったのがウケた。「これネタになりますね」って言っていたので、このブログに残させてもらいました・笑

それから京都駅に移動して軽く話してから名古屋に移動。兄も含めた家族で夕食を食べた後、兄と一緒に東京に戻ってきました。

かなり疲れたけど、いつもでは会えない人と会ったり、出来ないことをしたり出来てよかった。そういう意味では充実した旅行だった。

(04/10/25)

2004年10月23日

しばらく更新できず

しばらく更新できず失礼しました。
余裕見つけて過去の分を振り返って更新します。

今週の残業時間が25時間近くて死にそうだった。。自宅のノートパソコンが壊れたり。。うーん、ちょっと充電期間が必要なのかも。疲れた疲れた。

10/25追記
10月18日:愛知・関西遠征記 4日目:京都競馬場へ
10月17日:愛知・関西遠征記 3日目:友達の結婚パーティ
10月16日:愛知・関西遠征記 2日目:京都で飲み会
10月15日:愛知・関西遠征記 1日目:地元で後輩と食事

2004年10月24日

肩が痛くて

ウィークデーは完全にくたばって爆睡して起きると11時前。起きると肩が鬼のように痛い。肩こりというのはわかっていたけど過去最高の痛みかもしれない。

とりあえず仕事を片付けてから、高田馬場近くの床屋に行ってから新宿までラグビー早明戦の前売りチケットを買いに行く。今年は12月5日に行われるけど、前売りは今日からということで、早速買う。今年も早明戦が近づいてくることを実感する。自称ラグオタとして楽しみでしょうがない。

それから、携帯メールをチェックすると友人Sから「今日演劇行かない?」というお誘い。せっかくの機会なのでOKすると、あわててマッサージ屋に駆け込む。時間の都合がなくて20分しかできなったのが残念だけど、最悪の状況は脱したよう。マヂで肩が痛い、なんとかしたい。

それから下北沢に移動し、「バッファーローと月」というコメディ?を見に行く。面白かった。途中で地震が2回も起こったけど、何事もなかったように演技する役者の演技に感激、ですね。

下北沢という町は実は初めて来たというオチ。早稲田にいると早稲田周辺で演劇が行われているけど、下北沢も演劇のメッカ。たくさん小劇場があって探検してみると面白そうかも。あまり山手線外に来たことがなかったので大きな発見かもしれない。

帰りに新宿のヨドバシでiLifeを買う。iPhoto4がほしくて。。空けるのが楽しみ。

なんてことはない、普通の休日だった。

2004年10月28日

アップル「iPod Photo」発表

いやぁ驚きました。
アップルが「iPod Photo」を発表しました。前々から噂があったので「寝耳に水」というわけではなかったですが、モノが実際に発表されるとさすがにすごい、としかいいようがない。

でも、7月終わりにiPodを買ったばかりなので、とりあえず僕は見送りかなぁ。

しかし、相変わらず革命的なことを起こすアップルの姿勢には感服です。僕らマックユーザーはアップルがやることの全てが好きになってしまう。もはや宗教みたいなもの。「ハッスルハッスル」ならぬ「アップルアップル」というか。そういう感じです。

また、同日ですが、ソニーがPSPの発売日と値段を発表した模様です。値段が2万円超えてるけど大丈夫なのかなぁ。ちょっと心配。

まあでも技術の進歩は恐ろしい。どんどん便利になって性能が上がっていくんだなぁ、と思った。

2004年10月29日

初スポーツクラブ

疲れました。

初めてスポーツクラブに行って来ました。新宿のスポーツクラブなんですが、まずは体験入会ということで2100円払って、体力測定とか無料だったのでやってみました。

体力年齢42歳・・・らしい(爆)
ありえん。

いろいろ体脂肪率とか筋肉量とか調べてもらったけど、筋力的な問題はなく(運動はまったくしてないのに何故だ)、体脂肪量を減らせばいいことが判明。有酸素運動をすればいいわけですな。それが一番難しいんですが。

あまり時間もなかったので筋力器具などは使わず、ストレッチしてから走ってました。時速12キロで10分走ってみたけどきつかった。。100キロハイクは5回も歩いている僕だが、走ると歩くは別物みたいだなぁ。

とりあえず週1回?2回のペースで平日夜に行ってみようかな、と。一緒に行ってくれる友達募集・笑。

まぁなんでスポーツクラブに行くことになったのか、という理由はいずれ話します。取り急ぎ今日はこんな感じで。

2004年10月30日

ブログ不毛の地、早稲田

タイトルは会社の先輩と話していたときに出た言葉。

自分がインターネット業界に働いているから言うわけではないと思うけど、ブログ登場の衝撃はかなり大きいものだと思う。ジオシティーズの無料サービスという衝撃以上に大きなものだと思う。簡単に個人が情報発信できるようになったのは情報の流通先が広がったという意味で大きい。

サイト運営者側の視点で言えば、今までは使用を決めてツール化という過程をたどっていたわけで、ブログを活用すれば簡易CMSシステムが入っているので、運営者側である程度引き伸ばすのが可能になったのが大きい。

これで入力フォーム用のタグとか出来たブログが登場したら本当にツール化の大部分が不要になる。実現したら本当にすごいことになる。今まで何十万もかかって作っていたCMSがたった月1000円レベルで実現することになる。ある意味それはすごい。

ただ、それがビジネスになるかというとまったく別の話だけど。

で、どうタイトルと結びつくかというと、そんなブログというツールに対して見せた早稲田・慶応という2つの大学が見せた格差があまりにも大きいからこんなタイトルをつけてみた。

慶応は昔からSFCに「SFC CLIP」という情報サイトがあって、かつてはすごいプログラムで作られていたと聞いた。しかし、ブログというツールが登場するや、いち早く対応したのはさすがというほかない。慶応ジャーナルというサークル(先輩が始めた団体)も慶応ブログネットというサイトを始めたりして、個人発信の情報をピックアップしようという姿勢を見せている。「学生だから出来る」という学生の発想を活かしたいいサイトだと思う。

一方の早稲田。まったくブログという言葉を聞いたことがない。というかむしろ早大生の情報をまとめよう、というポータルの姿がまったく見えなくなってしまった。常にユーザーのことを考え、新しい技術を追い求めていた過去の姿はどこにいってしまったのか。

今はほぼ死語となってしまった言葉に「早稲田デジタル世代」という言葉がある。実は僕は3代目にあたるわけだが、初代の人は超有名な就職口コミサイトを運営していたり、大学初のサークル提供型掲示板を作っていたりする。2代目も日本発のミスコンのWeb投票などを実施したり、CDマガジンを学生の手によって作ったりした。3代目は学園祭の復活に動いたり、学内フリーペーパーの発行など学内の流れを牽引していた気がする(多少偏見ありますが)

しかし、4代目は出てこなかった。これが実情だと思う。外から見てて少なくともデジタルにかかわる流れは全て止まったように見える(違ったら失礼)。ブログという技術に対して、誰も活用する動きが見えないのは非常に悲しいところ。慶応と上智はミスコンでブログを導入した。非常に面白い試みだと思う。

誰かが早稲田のブログ化を牽引する人が出てこないか。MTじゃなくても、XOOPSとかいろいろなCMSはプログラムの知識が希薄でもいろいろ出来ることが可能になっている。「技術がない」は言い訳にならない。方向が指し示せない。リーダー人の出現を願ってやまない。

そうでなくては、「早稲田はブログ不毛の地」と揶揄されてもしょうがない。

2004年10月31日

メディアの不確実性

結局、イラクで発見された遺体は香田さんではなかった。本人であるか否かで政府の対応も異なってくるわけで、刻々変化する情報に大変なる混乱があったに違いない。混乱の様子はこちらに詳しいので参照あれ。

つい先日の、中越地震に関する「母子3人の乗った車発見」の報道についても、情報が錯綜した。3人とも生きている報道もあったり大変だった。

ここで分かったのは「メディアは確実じゃない」ということではないか。ITが無力な時もある。

中越地方にしろ、イラクにしろ情報が少ない場所の話なので、結局メディアを通してしか僕らは情報を知ることはできないが、常に疑ってかかる必要があるのは事実だろう。メディアも情報操作を受けるし、偏見だって入ってくる。安易な世論誘導に引っかかってはいけない、と強く思った。

それにしても、中越地震に関する義援金の報道などがたくさんでているが、それより少し前の台風で大きな被害に合われた人もいる。決して新潟だけに向けられる援助の輪ではあっていけないはずだと思う。メディアが殊更に「新潟」を主張するとそれ以外が見えなくなってしまう。本質を捉えて日本全体に広がる善意を輪であって欲しい。メディアはこういう部分にこそ、活躍して欲しいと思っている、、、しかし現実は。。。悲しいところ。

2チャンネル、ブログのような個人発信のメディアがもっと台頭してくれることを期待してやまない。果たしてどうなるやら。

学生起業家論争について

「学生起業家」について、学生ブログ界(?)で論争が起きているみたいですね。もうまとめ入ってますけど・笑

僕は既に学生じゃないので説得力がないですが、村井氏の意見には全面賛成です。「なんだ、お前は村井派か」って言う人が出てきそうですが、村井氏はちゃんと全面的に反論すれば、その価値観を分かってくれる人ですよ。筋違いな反応さえしなければですが。

村井氏を誤解している人は「筋違いの反応をしている」人が多いからかと。最初に会ってから3年ぐらい経って、その過程で僕も何度も組織論ぶつけ合いましたけど、「結局そういう価値観もアリだな」で落ち着いたことが一般的でしたしね。

村井氏の主張の根幹にあるのは、「自分は一般人を巻き込んだことがある」という自負だと僕は思います。モー研(是非はともかくとして)や三田祭実行委員で一般の人をたくさん巻き込んだイベント等を成功させてきたことは事実で、自分で自分をすごいと思っている学生起業家という人に「一般人を巻き込んだことがありますか?」というキーワードを提示しているんだと思いますよ。企業の行う営利活動は一般人を対象に行うことが大半なので(もちろんすべてじゃないですけど)、そういう視点がないのに起業して成功するわけがない=社会に迷惑をかけるな。そういう争点かと。

今、論争が起きている学生ブログ界だって、非常に狭い世界。まったく一般の学生には落ちていない論争だということを忘れちゃいけない。SNSが発達して人とたくさん交われるようになったからといって、結局会っているのは狭いSNSの中だけの人ばかりで、それが一般の人の方向を向いてますか?と。村井氏は今アメリカに行って人と会えないから、その点が強くクローズアップされたのだと思います(推測ですが)。

かくいう僕は学生起業家という言葉は好きじゃないです。学生時代は無駄してナンボだと思ってるので。効率とか、稼ぐとか考えるのは社会人になってからで十分だと思いますよ。クラスの友達やサークルの同期・先輩・後輩などさまざまな人と会って話して影響を受ける、そういう期間だと思うから。無駄な時間にこそ、得るものがあると思う。

「社会人まで待てない!」という強い意識で起業するなら話は別ですが。

とはいえ、僕はもう社会人の身分なので、もう「学生起業家」にはなれませんが・汗。もちろんそれは単にアイデアがなかったから起業できなかったってのもありますが、別に会社に入ってやりたいことが出来ることもある。殊更に「学生のうちの起業」がもてはやされている今の状況は筋が違うぞ、と思ってますけどね。社会人になってから起業を志している友達もいますから。社会人になってから起業する人も国や地方自治体も応援して欲しいです。社会に出てからそれでも起業したいと思うようになった、むしろ普通はそれが自然だと思いますから。

学生のうちに起業して、それから普通に会社員になる人もいると思うのですが、そういう場合、会社ってどうなるんでしょ。詳しくないので分からないのですが、それは取引を中止したりして会社をなくす、っていう形になるんでしょうか?それって許されることなんですかね。詳しくないので何とも言えないですが。

「ぴあ」はサークルから出たという話も聞いたことがあります。今は超有名でチケットを販売していたりするが、最初はサークルで学内の情報を集めたことがきっかけだったらしい。そういう形で発達する起業もあるかもしれないので否定するわけじゃないですが。逆に言うと、「ぴあ」みたいな形で出てくる起業は是非とも応援したいと思う。

高い志のある起業家ばかりであればこんな論争は起きなかったはず。論争が起きていること自体、よくよく考えるとおかしいことかと。まぁ僕個人が言ってなんかなるとは思わないけど、とりあえず意見として出してみた。ある種の嫉妬みたいなものかもしれないですね。

難しい問題だなぁ。そう思う。

About 2004年10月

2004年10月にブログ「K's Weblog "Quick"」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2004年09月です。

次のアーカイブは2004年11月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34