JR福知山線の脱線事故から約半年、死者は107名まで増えた。第一報ではこのようなことを書いたが、連日新聞でも報道されるように様々な事故背景・被害者の声などが紙面を埋めている。
しかし、それと同時にメディアの過剰とも言える報道姿勢も問題になっている。テレビで何度もJR西日本の人がボーリングの件などで謝って入る際に報道陣が「正義」をもって真相を追求する姿が見える。まさに視聴者が知りたい情報ではあるが「罵倒」してまでする必要があるのか。JR西日本は謝ることしか出来ないだろう。それに対して遺族は怒りを投げかけることしか出来ない。視聴者は情報を得ることしか出来ない。そういう中でメディアの存在価値はどこにあるのか。
昔別の事件で、過剰な報道に嫌気が差して遺族が居留守を使ったところ、ある記者が玄関先で怒り散らした、と言う話を聞いたことがある。ここで一番大切なのは遺族の心情であって、視聴者に情報を与えることではない。メディアの中ではこれを勘違いしている人もいる。自分のとって真相を追究することは「正義」だろうが、それは相手への尊厳なしにありえない。
僕らとしては新聞・テレビ等で情報を得ることでしかできない。メディアを通した情報だけにすべてを信じることは出来ないだろう。悲劇は悲劇で受け取り、情報を取捨していくことは視聴者には望まれるだろう。
メディアの「正義」は必ずしも正しいわけではない、それを肝に銘じるべきだと僕は思う。