Web界隈では話題となっていた梅田さんの著書「ウェブ時代をゆく」を読了。相変わらずの素晴らしい出来に感服する。
梅田さんに関して言えば、プログラマーでもないのにプログラムのことを語るな、等々いろいろ言われることもあるんだけど、前作「ウェブ進化論」は掛け値なしに良作で、いわゆるWeb界に身を置く人以外にも、あの本を良さは伝わり、それがベストセラーと言う結果となった。
前々から言っているように、閉鎖的な世界で何を言おうが、業界内にしか伝わらないが、この本は一般的な人まで広まったと言うことに価値がある。これによって、今までは知られていなかったGoogleの凄さが伝わった。ネットの「向こう側」「こちら側」と定義したのは、新鮮だった。
今回の「ウェブ時代をゆく」は、続編的な作品。続編的な作品とは言うが、今回は視点が違う。このWebが圧倒的に生活の中に浸透していくに従って、ライフスタイルの点から記したと言う点で、また新たな視点を想像している。
この作品のキーワードは「学習の高速道路」と「けものみち」である。ンターネットが広まったことで、ネットを調べれば圧倒的情報量がなだれ込んできて、いわゆる昔であれば、知りえなかった情報まで僕らは手に入れることが出来る。つまり、誰もが容易に特定分野の情報の高速道路を走っていくことが出来る。ただ、情報の高速道路を一定のところまで走ると、大渋滞にぶつかる。情報の高速道路を同じように走る人が増えるからだ。その渋滞にぶつかったところで、我々はどうすればいいのか。その分野の専門性を極めるために渋滞の中に突き進むのもいいし、逆にそこで高速道路を降りて、今まで学んでいなかった新しい分野への挑戦の道なき道=けものみちを突き進むのもいい。それがこの本で主に語られていることだ。
3年ほど前、中学以来ずっと親友である友達Kと話したことがある。ボクの高校時代の友達と言うのは進学校だったから、東大や京大に半数弱が行くと言うありえないクラスだった(苦笑)。そして、そういう優秀な奴らは今外務省とか財務省のような国家公務員で日本の中枢を担っていたり、一方民間に行ってもドイツに住んでロンドンと毎週行き来している奴だっている。「あいつらは高校時代から夢を持って大学に行って夢を実現させているってすごいよなぁ」と話していたところで、Kが「でも、僕らのやっている今の仕事はその高校時点では想像もしなかった職業じゃない」と言ったことがある。ボクとKじゃ私立大に進学して、Kは当時某SE企業で音楽配信の担当をしていたし、ボクも某ISP企業で働いていた。なるほど、確かに高校時代にこんなものが職業になることは想像できないよなぁとふと納得したのを覚えている。今は2人とも転職してはいるが、今の職業だって、当時は誰も想像できない職業だ。
ボクは転職と言う決断を持って、インターネットの業界の最前線からは離れたけれども、今はある意味前の会社には存在し得なかった武器を持って、同じインターネット業界に挑戦し続けられるのは今の会社の大きな魅力だと思う。僕のいる場所は、けものみちかもしれないけれども、逆に新たな武器を持って、高速道路と行き先へいずれ合流するものだと思っている。
ただ、1点この本で気になるのは、「情報の高速道路」に乗ろうと思わない人だっていることが記載されていない。誰もが専門家になりたいわけじゃない。普通に平和に暮らして行きたい人だっているだろう。インターネットは生活に侵食してはいるが、全てを覆うものではない。インターネットの限界も敢えて記載して欲しかった。例えばスポーツをやったりすることや、観光名所に遊びに行くのもいい。体験に勝るものはない。
もちろん、これからの社会はインターネットをいかに活用できるかが将来設計にも関わってくると思う。最先端を走る必要はないと思うが、少なくとも多くの人には乗り遅れないように情報は仕入れて活用していきたい。それがボクの信じるWeb時代の生き方だと思う。
この本を読めば、自らの進む道が少しは見えてくるかもしれない。良書です。

